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板橋タウン情報

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志村熊野神社(志村城跡)

志村熊野神社は、長久3年(1042年)に志村将監が紀州の熊野神社の分霊を勸請したと伝えられている、志村庄の総鎮守です。また神社を含めた一帯が志村城とされ、社殿の裏側には空堀が残ります。
康正元年(1455年)、享徳の乱に乗じて挙兵した馬加氏(後の幕張に由来)に追われた千葉宗家(後の千葉県に由来)が赤塚城を本城とし、志村を支城としました。
そして大永4年(1524年)、小田原の北条氏綱により滅ばされ、北条氏の支配するところとなりました。
当社の建物があるところは、かつて志村城の厩舎(馬がいた小屋)があったと伝えられています。

志村一里塚

都営三田線の「志村坂上駅」を上がったところに、志村一里塚はあります。
江戸時代初期の慶長9年(1604年)、徳川家康公は街道整備のため、諸国の街道に一里塚の整備を命じました。志村一里塚は中山道
の第3番目の一里塚として築かれたもので、明治以降多くの一里塚が消滅するなか、今日も2基一対で残っている一里塚は全国的にも大変珍しく、国の史跡に指定されています。

清水坂

旧中山道において最初の難所とされる、志村の台地から荒川流域の低地に下る急坂です。途中大きく曲がっていて、街道で唯一富士山を右手に一望できる名所であったといわれています。名前の由来は、坂を下っていくと街道の右側に大善寺があり、そこで八代将軍吉宗公が鷹狩りの折りや休憩をした際、この崖からの湧き水の見事さに感動し、大善寺の本尊薬師如来を「清水薬師」と命名したこと。やがてこの坂は、清水坂と呼ばれるようになりました。